東京高等裁判所 平成11年(ネ)1276号 判決 1999年8月23日
控訴人(原告) 日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社
右代表者代表取締役 A
右訴訟代理人弁護士 吉川晋平
被控訴人(被告) 有限会社新世紀研究会
右代表者代表取締役 B
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求める裁判
一 控訴人
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し六六二二万六七〇四円及びこれに対する平成九年一一月一日から支払済みまで年一八・二五パーセントの割合による金員を支払え。
3 被控訴人の反訴請求を棄却する。
4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文第一項同旨。
第二事案の概要
事案の概要は、次のとおり付け加えるほかは原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」記載のとおりである(ただし、原判決書一五頁八行目の「現状回復工事」を「原状回復工事」に改める。)から、これを引用する。
一 控訴人の主張(当審における補充)
1 判例及び競売の実務からみても、本件預託金の返還債務が被控訴人に承継されないとはいえない。
本件と返還債務が具体化した保証金の承継に関する最高裁判所昭和四八年三月二二日判決とでは事案が異なるし、同昭和四四年七月一七日判決も「旧賃貸人に差し入れられた敷金は、未払賃料債務があればこれに当然に充当され、残額については新賃貸人に承継される。」としているだけで「敷金につき新賃貸人が承継するのは未だ返還義務が具体化しないものに限る。」とは判示していない。また、東京地方裁判所の競売実務においても、敷金の承継については右昭和四四年判決に従った処理はしていない。
2 既に具体化した敷金返還債務のうち、本件預託金のように契約存続中にそれが具体化したものについては新所有者に承継されるものと解すべきである。
すなわち、建物所有権移転による賃貸人の交代により旧賃貸人に差し入れられていた敷金が新賃貸人に承継されることは確立した判例で、敷金が具体化しているか否かで承継の可否を異別に解すべき実質的理由はない。特に、物件明細書において買受人は本件預託金を引き受けることが明記されている本件のような場合はなおさらである。また、敷金を当然に承継するとする実質的理由は賃借人の保護であり、控訴人は占有権原・対抗力を有する賃借人である。最高裁判所昭和五一年三月四日判決は、保証金につき「これを当然に承継するとされることにより不測の損害を被ることのある新所有者の利益保護と、承継しないとされることにより回収できなくなるおそれのある賃借人の利益保護の必要性とを比較考量」したうえで当然には承継しないとしているところ、本件において被控訴人は物件明細書及び評価書により本件預託金を引き受けることを認識認容し、右引受を前提に一億一〇三〇万円が建物価格から控除されているために承継するとしても不測の損害を被らないのに対し、控訴人はこれが被控訴人に承継されないとすると回収不能となり大きな不利益を被る。控訴人の賃借権は保護され、敷金返還請求権は保護されないというのは矛盾しているし、被控訴人が敷金を承継しないのは著しく正義に反する。民法において旧賃貸人との間で具体化した賃借人の債権が新賃貸人に当然承継され得ることが肯定されている(同法六〇八条)し、破産法も具体化した敷金返還債務が新所有者に当然に承継されることを前提に相殺を肯定している(同法一〇三条)。
二 被控訴人の反論
1 返還債務が具体化された敷金は賃貸借契約の債務不履行に対する弁済に充当される性質を失っており、また、賃貸借契約に敷金の存在が必須のものということもできない。賃貸借契約継続中に敷金返還義務が具体化すればその時点から敷金の付かない賃貸借契約となるのであり、控訴人引用の最高裁判所昭和四四年判決は賃貸借契約中であっても返還債務が具体化した敷金は承継されないとの判断を含むものであり、同昭和四八年判決もこれを引用して新賃貸人が承継するのは未だ返還義務の具体化しない敷金についての権利義務関係だけとしているのである。また、仮に東京地方裁判所の競売実務が最高裁判所の判決に従っていないとしても、民事執行上の処分には権利関係を確定する効力がないから右実務の処理が最高裁判所の判断に優先するものではない。
2 既に返還債務が具体化した敷金は、具体化の時点で担保としての性質を失い、賃貸借契約に付随したものとはいえなくなっている。これに対し具体化していない敷金は賃貸借契約上の債務不履行を担保するもので賃貸借契約に密接に付随するから承継されるのであって、両者はその性質が異なり、これらを異別に扱うのは相当である(この扱いは具体化した賃料債権が承継されないこととも整合性がある。)。また、被控訴人が物件明細書の内容を認識していてもその記載に確定力はなく、被控訴人がこれを認容したわけでもないし、控訴人が安く競落することによって利益を得たとしてもそれによる不利益を受けたのは配当が減少した競売債権者であって控訴人ではなく、右利得と控訴人の本件預託金の回収不能との間に因果関係はなく、両者の利益考量をすることも不適切である。控訴人の主張する民法や破産法の規定は返還債務が具体化した敷金の承継の問題とは無関係である。
第三証拠関係
証拠関係は、本件訴訟記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
第四当裁判所の判断
当裁判所も控訴人の請求は理由がないものと考える。その理由は、次のとおり付け加えるほかは原判決「事実及び理由」中の「第三 争点に対する判断」記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人の主張(当審における補充)についての検討
控訴人の主張は、要するに本件預託金返還債務が本件建物の新所有者となって本件賃貸借物件について控訴人に対する賃貸人の地位を承継した被控訴人に当然に承継されるというものである。しかし、次のとおり控訴人の主張は採用できない。
1 まず、訴外会社に交付された本件預託金が敷金であるとした場合、その返還請求権が具体化したというべきか否かについて検討する(本件預託金が訴外会社に対する建設協力金又は保証金であるとすれば、具体化の有無にかかわらず被控訴人に対する当然承継の問題は起こり得ない。)。
敷金は賃借人の賃料債務等の担保としての作用を営むものであるから、本来は賃貸借契約の終了時又は目的物返還時に至って未払賃料等を控除した差額についてのみ賃貸人の具体的な返還債務が生じるものである。ところが本件合意に係る期限の利益喪失条項(以下「本件特約条項」という。)は、訴外会社に支払停止や支払不能等があったときは訴外会社が本件預託金につき当然に期限の利益を失い全額を直ちに返還する旨を定めている。これは訴外会社の返済能力に問題が生じたときは控訴人において速やかにその債権回収の手段を講じこれを保全できるようにすることにより控訴人の有する本件預託金返還請求権を他の敷金返還請求権の場合よりも強化したものであって、訴外会社との関係では控訴人が一方的に有利な条項である(このような条項であっても借家法に抵触せず、契約自由の原則からみてその有効性は否定できない。)。そして、証拠(甲五ないし七の各一、二)及び弁論の全趣旨によると、控訴人は訴外会社に本件預託金一億八〇〇〇万円を預託していたが、平成四年七月一七日に訴外会社が支払不能になるや、同年八月一一日付け書面で、同社に対し、本件特約条項による期限の利益喪失を理由としてうち一七〇万円につき賃料債権を受働債権とする相殺の意思表示をし、かつ、残額一億七八三〇万円については即時弁済を請求し、その後も本件預託金の残額と平成九年六月分までの賃料との相殺の意思表示をし、その結果本件賃貸借物件を含む本件建物を被控訴人が競売による売却によって取得した時点での本件預託金残額は当初の預託額の四割に満たない六六二二万六七〇四円(本訴請求額)にまで減少していたことが認められる。
以上によれば、本件預託金はその返還請求権が平成四年七月一七日の時点で具体化し、しかも控訴人はこの具体化した権利を訴外会社に対して現実に行使していたということができる。
2 次に、右のように具体化した本件預託金返還請求権が被控訴人に承継されるか否かであるが、特段の事情がない限り被控訴人に承継されることはなく、かつ、本件では右特段の事情を認めることはできないというべきである。
すなわち、前記のとおり本件預託金返還請求権は被控訴人が本件賃貸借物件の所有権を取得する以前に具体化して権利行使が可能となっており、しかも控訴人は実際にその権利を行使していたものである。訴外会社の責任財産の把握やそれによる満足の可否という事実上の問題は別論として、訴外会社が本件特約条項により期限の利益を喪失した以上、控訴人の訴外会社に対する本件預託金返還請求権の行使を妨げるべき法的障害は存せず、このような場合にまで本件預託金返還債務が被控訴人に承継されるべきとする根拠は見いだし得ない。もし仮に被控訴人に本件預託金返還債務が承継されるとすれば、被控訴人は重畳的債務引受をしたのと同じ厳しい立場に置かれるのに対し、控訴人は訴外会社に対する権利行使や自己の債権保全を懈怠していても被控訴人からその権利の満足を受けられるという一方的に有利な立場に立つことになるのであって、その結論が不当なことは明らかである。そもそも本件特約条項は控訴人の利益を図るためのものであり、これによって控訴人は本来の弁済期前に本件預託金の回収を実現するという利益を現に得ているのであるから、これによって回収できなかった部分が存するとしてもそれによる不利益は甘受すべきであって、控訴人の主張は実質的には本件特約条項の効力を否定して右不利益を控訴人に転嫁することに帰し、失当であると考えられる。
3 その他の控訴人の主張について検討する。
控訴人は敷金返還請求権が具体化しているか否かで承継の有無を決することは不当であるとし、また、具体化している請求権についてはその具体化が賃貸借契約の存続中なのか終了後なのかを区別して検討すべきであると主張する。
しかし、本件預託金を含む敷金返還請求権については、それが賃貸人の地位の承継前に具体化しているときは旧賃貸人(訴外会社)に対する権利行使が可能であるからそれが新賃貸人(被控訴人)に承継されないとしても賃借人(控訴人)の法的保護に欠けることはない反面、具体化していないときは訴外会社に対する権利行使はできないから被控訴人に承継されると解すべきであり(この場合にも承継されないとすれば賃借人である控訴人は権利の実現を受け得ない結果となる。)、具体化しているか否かによって承継の有無を決することは合理的であるといえる(前記最高裁判所の判決もこのことを当然の前提とするものである。)。これに対し、敷金返還請求権が具体化していれば、それが賃貸借契約の存続中であっても終了後であっても権利行使が可能であることに変わりはないから、具体化の時期によって異別に論じる必要はない。
また、控訴人は物件明細書の記載や本件建物の売却価額等の競売手続に関する主張をする。
しかし、そもそも具体化した敷金返還請求権の承継の問題は、それが任意の売買によるかあるいは競売における売却によるかによって取扱いを異にすべきものとは考え難い。また、不動産競売における物件明細書は執行裁判所がその事実認定と法律判断に基づく一応の認識を記載した書面にすぎず、その記載には当事者間の権利関係を実体的に確定させる効力(実体的確定力)はないし、その記載や最低売却価額の定めの基礎となる評価人の評価においては、買受申出人に不利益とならないこと(買受人が不測の損害を被らないこと)が原則的方針とされ、その結果、存在するならば減価要因となる権利の存否が不明のときはこれが存在するものとして扱われることになるが、これによって右権利の存在が確定するものではない。したがって、本件建物の物件明細書や評価書において本件預託金返還債務を競落人が引き受けることを前提とする記載があったとしても、そのことから被控訴人が実際にこれを引き受けるべきことにならないのは当然であるし、控訴人が被控訴人との関係で不当な利益を得ていることにもならない。
控訴人は、賃借権は保護されるのに敷金返還請求権は保護されないのは矛盾しているなどとも主張する。
しかし、そのような結果は控訴人が訴外会社との間で本件特約条項を含む本件合意をした結果であるし、控訴人自ら本件特約によりあえて両者を分離し、しかも相殺によって本件預託金返還請求権を訴外会社に対して一部行使しながら、更に被控訴人に対しても同じ権利を行使しようとする方がむしろ矛盾しているというべきであり、被控訴人が本件預託金返還債務を承継しないのが正義に反するともいえない。
また、控訴人は民法及び破産法の規定を援用した主張をするが、右各規定は特殊の債権につきあるいは特殊の法状況の下で公平の見地等から法が特別の定めをしたものにすぎず、これをもって旧賃貸人との間で具体化した賃借人の債権が新賃貸人に当然承継されるなどといった一般的命題を肯定することはできない。
二 結論
よって、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項本文、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 新村正人 裁判官 宮岡章 笠井勝彦)